桜鍔恨鮫鞘 「鰻谷の段」切

れてぞゐたりける
隣座敷に弾出す
√浮名を流す堀江川、流れに淀む捨小舟、繋がぬ縁は是非もなや、恋路の鬼か丹波屋の、　妻に通ひしかね事も、昨日と今日の飛鳥川
歌も古手屋八郎兵衛、結合ふたる悪縁の、契りも深き長堀の、つひ一筋が鰻谷、我が家の軒も我ながら、そとを家なる八郎兵衛、咳払ひしてうちに入り
「ホヽ何と思ふてやら、今日はさつぱり身仕舞ひができたの」
「父様、夕べから待つてばつかりゐたわいの」
「ヲヽさうであろ／＼、我がてつきり待つてゐやうと思ふて、道で買ふた鶉焼、マア一つ喰ふてみや」
と甘き土産も親の恩
「コレ母様、父様に土産貰ふた、お前も一つやろかへ」
と言へど
答へも
「コレお妻、よう来たと言ひもせず、俯いてばかりゐるは、アヽ聞こえた、この中から頼んでをいた金の工面ができ難うてか、イヤコレだんないぞや／＼、我が身の手でできずばまたほかに工面の仕様もあらう、女夫の中に何の遠慮する事があるぞいの」
「イヽエそんな事ぢやないわいな」
「ムウそれでなくば、ア何ぢやあろ、エヽさては例の親子喧嘩ぢやの、アノ婆様の気を知つてゐて、競合ふといふやうな、不調法な事があるものか、アヽよい／＼、俺が仲を直してやらう」
「イヤその挨拶は聞きませぬ」
と立出づる母が顔
「コレ母者人、そりやまたお前どうした事、お妻に悪い事があらば、詫び言するが男の役」
「イヤコレ、娘には何にも誤りはござらぬ、気に入らぬといふはこなたの事、もうこちのうちへふつつりと、足踏みして下さんな、お妻と縁は切りましたぞ」
「ムヽ夫が女房に暇を遣るは世間の大法、がそれに引換へ女房の方から縁切るといふこなたの思案は」
「アイ、婿を取りました婿を、ヲヽ慮外ながら娘には、れつきとした男がござる、うかうかと長居はなるまい、サヽ早う去んで貰ひましよ」
と聞いて八郎兵衛、膝立直し
「屋敷奉公のそのうちから、得心づくで貰ふたお妻、もとより子中なしたる夫婦、今、御主人の御難儀故、人の目立つをいかゞと思ひ、わざとこの家を遠ざけし、この八郎兵衛に暇も取らず、婿を入れては済むまい／＼」
「イヤコレ言はしやんな／＼、言はしやんないなう、コレこゝのうちは俺がうち、こなたは別に家があれば、表向きの男ぢやない、サそれぢやによつてこつちから、暇やつて取つた婿」
「ムヽ、シテその婿はドヽ、どこにゐる」
「ヲヽその婿はこゝにゐるわい、ヤ、見知つて置いて貰はう」
と、親子が中に大胡坐
「ムヽこなたがこの家の婿殿か」
「ヲヽ香具屋の弥兵衛様といふて、大金持ちの旦那殿」
「へヽヤモ、慮外ながら今日からお妻が正真交りなしの花婿様ぢや」
「ソリヤアノ貴様が香具屋の弥兵衛、殿、名はかねて聞いたれど、顔見合すは今が始め」
「エヽそりや互ひぢやい、コリヤ八郎兵衛、モすかんぴんの我を追出し、婿になるのも異なものなれども、親子がたつてと言はれるによつて、気の毒ながら、へヽン我らが女房ぢや、ハヽヽヽ、コ、コヽこのがきも男の小倅なら、我と一緒に放り出せど、女郎のがき故堪へてこますは、したが我が産ました子ぢやと思へば、嘘にも可愛い事は微塵もないわい、女郎のがきは父親に似ると、我によう似て小ませたしやつ面、エイそつちへ失せい」
と踏散らせば
八郎兵衛堪り兼ね
「コリヤお妻、畜生めらにものは言はぬ、がこれ程の事仕出すからは、我が知らぬと言ふ事はあるまい、訳を聞かねば金輸際、暇遣らぬが男の意地、サヽヽヽ包まず言へ／＼／＼」
とせちがふ夫
皆尤もと思へども、見合す母の顔形、見る目潤す涙をば、隠してわざと笑ひ顔
「コリヤおかしい、何ぼお前がそのやうに言はんしても、母様、母様には代へられぬ、ぐどぐど言はずと早う去んで下さんせいな」
「ムヽスリヤおのれも得心の上、弥兵衛と女夫になるのぢやな、お妻、わりやそれでは立つまいがな、わりや」
「ハテモウ立つも立たぬも、エヽ金次第ぢやわいな」
「ヲヽ娘出かしたよう言ふたホヽ、よう言ふたホヽ、マよう言やつたのオホヽヽ、ヤコレ八郎兵衛、我が身にかヽつてこの間から、お妻一人が何やらむしやくしや、訳を聞けば金の要る筋、女房の方から入足して、男に持つてゐやうより、敷金貰ふ婿殿を入れる方が、マ当世／＼、それが嫌なら今こゝへ、ざつと手土産廿両、弥兵衛殿から貰た程、工面して持つて来い、よもや返事はなるまいが」
と、欲に引張る熊手性
「ヲヽ金に目がくれ、夫婦の義理も思はぬからは一言も二言もないわい、慳貪邪険なおのれらに、可愛いお半は渡されぬ、サ、娘よ来い」
と手を引いて、行かんとすれど
しく／＼と
「父様、どつこも行て下さんな、悪い事があるならば、余所の伯父様に詫び言して、母様と一緒に、こゝのうちにゐて下され、拝みまする父様」
と、鎚る我が子を
抱締め
「子心にさへ思ふもの、おのりや／＼何とも思ふまい、犬といはうか、猫といはうか、譬へん方なき人外め」
と掴みかゝるを
弥兵衛押留め
「コリヤヤイ／＼、エヽ何しやがるのぢやい、今までとは違ふぞよ、親の赦した俺が女房、俺が女房ぢや、指でも指しやがつたら面、ガヽがぶりかくぞよ」
と非道ながらも理の当然
引裂くやうに思へども、主人の大事に引かされて、取つつ置いつの一思案、我が子を見やる目のうちは、一つに曇みるこの場の時宜、心残して出て行く
奥より出るてんぽの十兵衛
「ア、アヽヽヽ、ヤいかい御造作、目の覚め口に何やらむしやくしや、マヽヽざつと済んでお目出度い／＼アハヽヽヽ、御馳走酒のはつたりと、忘れてゐたうちの用、仲人はよい加減、婆様さらば」
と言捨てゝ、出て行く門と
奥の間へ、母は弥兵衛を伴ひ入る
後打見やり女房が、心は泣けど眼に泣かぬ、お半を傍に引寄せて
「コレお半、この間から言聞かして置いた事、よう覚えてゐやるかや」
「アイ、皆よう覚えてゐまする」
「ヲヽ賢い子ぢや、コレこの母が今言ふ事よう聞きやヤ、やんがて我が身も成人して、どうで一度は嫁入りする身、たとへ母がゐぬとても、二度の殿御を持ちやんなや」
「アイそれもよう合点してゐまする、がコレ母様、お前は何として泣かつしやる、気合でも悪いのなら、薬買ふて来うかへ」
と、ともに萎るゝ我が子の親身
「ヲヽよう言ふてたもつた／＼、よう言ふてたもつたよなう、コレ母はどつこも悪うはなけれど、婆様が飯でも炊いてか、それで煙たうて目が明かれぬ／＼」
と、涙に咽び泣きゐたる
√徒髪にとめ伽羅の、浅き香りや香具屋の、花となりしと聞くよりも
「エヽ時も時とあの歌わいの、丁度我が身に引当てゝ、世に歌はるゝもあの通り、八郎兵衛殿、さぞ腹が立たうけれども、コレ堪忍して下さんせ、堪忍して下さんせ、エ、エ、エ、何にも知らぬこのお半、一年／＼経つにつけ、父様に生写し、必ず／＼出世してこの母がとひ弔ひ」
「コレ母様、そんならお前はモウ死なしやるか、わしも死にたい／＼」
と、取付き歎く我が子の顔
二目とも見もやらず
「ヲヽよう言やつた／＼、よう言ふてたもつたなう、親なればこそ、エヽ子なればこそ、六つや七つの子心にも、親を大事と思へばこそ、誰が、誰がそのやうに親切に言ふてくりようぞいの、年頃日頃信心する天神様の御利生にも、叶はぬ事か情けなや、赦して下され八郎兵衛殿、堪忍してくれ我が子や」
と、抱締め／＼、背撫でさすり親と子が、涙の限り泣尽す、心のうちこそいぢらしゝ
かゝる歎きを露知らず、待ちに待つたる香具屋弥兵衛
「コレお妻、我が身やそこにナヽヽ何してゐやる、盃やら寝所やら、婆様一人が打つたり舞ふたり、イヤモ、いかう俺もせきが来た、サヽヽおぢや、行て寝やう」
「ヲヽ弥兵衛様とした事が、八郎兵衛殿と訳立てゝ、女夫になつた仲なれば、今宵に限つた事ぢやなし」
「アヽイヤ／＼、祝言と言ふからは、抱かれて寝るが、マヽヽヽ世間のお定まりハヽヽヽ、分けて恋しいそなたの事、顔見ては、イヤモトツトモ堪えられたもんぢやないわいのハヽヽ、サヽヽ、その美しい心の下紐、解いて貰はにや落着かぬ、サヽヽ早う来てたもいの」
「サア行くわいな」
「コレ母様、わしも眠たい、行て寝やう」
「エヽ何かにつけて邪魔ながきぢやな、コヽヽコレお妻、我が身やそいつが可愛いか」
「アイ、イヽエ」
「ムヽヽさうであろ／＼、坊主が憎けりや袈裟までと、おりやモ何ぢや知らぬが、めつたやたらに憎てらしいわい、そなたとしつぽり睦言の、邪魔になる小びつちよめ、ドヽヽヽドレ俺次第にしておきや」
と首筋掴んで引出し
「コリヤ嬶と抱かれて寝る間、門に遊んでけつかれ」
と外へ突出し、戸をぴつしやり
さすがの母も胴欲と言はれぬ辛さ
知らぬ子が
「コレ母様、わし一人寝るわいの、伯父様、明けて」
と叩く戸の、訳も隔てもなく涙
「サア構はずと女房ども、祝言の夜の新枕、二つ並べてサア寝よ」
と、せり立てらるゝ身の辛さ、否とも言ふに言はけなき、我が子を捨てゝ奥の方、伴ひ入るや入相の
√鐘諸共に忍出で、秋風寒く身に沁むも、今の恨みは長堀の、人目を包む頬被り
「アヽ世には似た事もあるといふが、あの歌の唱歌を聞けば、我が身の上に一つも違はぬ、七人の子はなすとも、女に肌身赦すな、と聞いてはゐれど、あいつばかりは、あゝした不心底があらうとは、微塵些か思はねど、親の欲気に引かされて、この八郎兵衛を見替へたか、但しまた、この中頼んだ金の工面、拵へるあだてもなく、なければ夫の難儀と思ひ、わざと女夫に見せかけて、やつぱり金の才覚も、それとは言はず心の謎、何にもせよ荒立てゝはこの身の妨げ主人へ不忠、虫をさすつて余所ながら、試してみん」
と門の口
「ヤア、そこにゐるはお半ぢやないか」
「父様か」
「ヨウこの暗いのに我一人、そして嬶めはどつちへぞ行きをつたか」
「イヽヤ母様はうちにゐて、わし一人こゝに置いて、伯父様と寝てゐやしやる」
「ヤア何と言ふ、スリヤアノ、我を門へ放り出し、弥兵衛と奥に寝てをるか、チエヽ可愛いそちを構はぬからは、男の義理も心底も、真実捨てたにコリヤ違ひない／＼／＼、エヽさうとは知らいで俺が手に色々道理を付けてみて、よもやと思ふた八郎兵衛が堪へ／＼たがもう叶はぬ、憎さも憎しうぬ真二つに」
ヤアきり／＼／＼な、斬殺し、浮世の夢や鮫鞘の、鯉口くつろげ落差し
「イヤ／＼／＼畜生めらを斬殺し、我が命を取られた時は、刀の詮議も親の敵も得討たぬのみか、伊織様のお頼みなされた五十両、忠兵衛殿へ戻さねば、尽した事も水の泡、ハテどうがな」
と立つつゐつ、憎さいや増す無念の涙
「チエヽ現在女房をおめ／＼と人に取られ、腑甲斐なしと一生後ろ指差されんも口惜しゝ」と駆出しては、立戻り
「マア伊織様にこの様子」
と行かんとせしが、振返り
「思へば憎し」
とまた後へ、うちを覗いつ門を見つ、立つたりゐたり身をもがき、千々に砕くる父親に
付添ひ廻る子もうろ／＼
「父様、眠たい、寝さして」
とせがみ立てら.れ
「ヲヽ道理ぢや／＼、可愛やな、モ親故我も苦労する、コリヤ堪へてくれ」
とばかりにて、子故の闇の憂き思ひ、思ひ重ぬる奥の間に
「三国一ぢや、婿になりすました、しやん／＼しやん」
と納まる内祝ひ
「エヽこれまでなり」
と八郎兵衛、門の戸蹴放し駆入れば
音に驚き母親が
「ヤア八郎兵衛か」
と言ふ間なく
肩先下りに斬付くる
「コレ／＼／＼、待つて／＼／＼」
と女房が、留め隔つる片腕、落ちて甲斐なき息遣ひ
娘はその儘父親が、振上る手にぶら下り
「父様、去んで下されなう、お前がこゝにゐやしやると、母様が死なつしやる、堪忍して」
と言ふ声が
母の耳にや通じけん
「お半はどこにぞ、必ず／＼怪我すなへ」
と、言ふがこの世の暇乞ひ
一間の障子さつと明け
「八郎兵衛は親殺し、この通り注進」
と、裏道指して駆行く弥兵衡
「ぼつ付いて一討ち」
と、思へど引かるゝ後ろ髪
「こヽぞ命の置きどころ」
と、刀逆手に取直せば
「コレ父様、死んで下さんないの」
と、取付く我が子を
また抱取り、堪へ兼ねたる溜め涙、袖や袂に淵なせり
かくとは知らぬ銀八が、とつぱ川筋一文字、提灯下げてつつと入り
「八郎兵衛／＼うちにゐやるか」
と上る足元親子の死骸
びつくり見合す覚悟の刀
「コリヤさせぬは」
と押留め
「コリヤ八郎兵衛、合点の行かぬこの場の様子、仔細が聞きたいどうぢや／＼」
「ヲヽ銀八、仔細といふたら八郎兵衛が、どうも男が立たぬによつて、二人ながら打殺し、腹切つて死ぬるが高、お半めが事頼む」
と、また取直す刀の柄
しつかと押へて
「アヽもうよい／＼わい、コリヤ八郎兵衛、さういふ女房にかゝり合せ、尤もとは思へども、刀の行方も知らず、今この中で腹切つては、主人へ忠義が立つまいぞよ」
「サイノそこに気のつかぬ俺ではなけれども、不義の相手は香具屋の弥兵衛といふ奴、残らず見届けたつた今、訴人に失せたる天の網、かゝらぬ先に腹切る覚悟」
「サアその網のかゝらぬ先にこゝを立退き、伊織殿のお行方を尋ねずばわりや、済むまいがな」
「ムヽ尋ねるとはソリヤ何で」
「ムヽ訳を知らねば合点行くまい、意地悪の団兵衛めが梅川を請出すと聞き、二人連れで廓を駆落ち、その訳知つた伸居のお才、俺に逢ふて言ふ事にや、八郎兵衛様が頼まれてござる五十両の金子、釆女様のお情けにてその事は納まつたれど、梅川殿の身請けの金、またも手詰めの難儀となり、命づくに及ぶによつて、お二人ともに落しましたと聞いてその儘逢ひに来た、がこの場の時宜はこの銀八が身に引受け、ハイ、人殺しは私でござるとこつちから名乗つて出で、意趣斬りにすりやこの場は済む、サ、気遣ひせずと早う行け、早う行け、ヤイ」
「チエヽその事をマア半時先に知つたらば、たとへ人に笑はれても、お主故と了簡定め、仕様模様もあらうのに、今更帰らぬ主君の身の上、不忠に不忠を重ねしも、憎い女が魂故、見るも中々腹立ち」
と、持つたる抜き身でめつた突き
見る目悲しき娘のお半
「父様待つて、書置きの事、アレ／＼伯父様留めて／＼、書置きの事」
「ヨウ、何ぢや書置きの事ぢや」
「アイ、一つ何から申し残さうやら、案じにくれて言残し参らせ候」
と言ふに
不思議と両人が
「ムヽさうしてその後は、何と言ふてをいた、サヽちやつと言へ／＼」
「アイ、たゞ気にかゝるはお主様、段々積る難儀の上、金の要る訳聞きながら、拵へるあだてもなく、婆様と言合せ、夫のためにこの身を穢し参らせ候」
と聞いて驚く銀八が
「ヲヽさうであろ／＼、コリヤさうありさうなものぢや、わりやマア賢い者ぢや、よう覚えてゐるな、その後を、サヽちやつと言へ、ちやつと言へ」
「アイ、それも厭ひは致さねど、これまでつひに愛想尽し、聞かさぬお前に愛想を尽し、訳を言ふたら留められるは知れた事、それではやつぱりお主へ不忠、それではやつぱりお主へ不忠、エヽその後はどうやらぢやあった」
「アヽ忘れたか／＼」
「コリヤお半、早う言へ／＼、エヽきり／＼抜かさぬかい」
「コリヤ八郎兵衛、何するぞい、小さい者をびしや／＼と、よう覚えてゐると誉めてはやらいで、虫でも出たらどうするぞい、アヽだんないだんない、堪忍せい／＼、父はナ、半分気違ひのやうになつてゐるわい、父には伯父が大きな灸を据ゑてやるわ、サヽだんないだんない、泣かずと思ひ出してちやつと言へ、ヨ、ヨ、わりやマア年端も行かぬに親故苦労するな、サヽ思ひ出してちやつと言へ、ヤ」
「アイ、その言ひ訳も得言はず、こればつかりが未来の迷ひ、言置きたい事あれど、年端も行かぬ者の事、娘お半にあらかた言残し候、言ひたい事も得書かぬ、無筆は何の因果ぞや、コレ伯父様、母様がこゝ言ふ時、泣いてぢやあつたわいナ、これにつけてもたゞ可愛いはわし、イヤ娘のお半、精出して寺へもやり、ものも縫はせ、大事に御育て頼入り候、不憫と思し一遍の、御回向頼む、父様」
と、聞いて八郎兵衛正体なく
「エヽ聞こえぬぞよ／＼女房ども、さういふ事ならつひ一言、明かして言はゞこのやうな酷い目は、酷い目はさせぬわい、たとへ顔が立たぬと言ふても、お主故なら何の留めう、今思へば姑が、憎う言ふたも裏の裏、お妻が代りにコレ母者人、こなた一人殺される心であつたかいの、さうとも知らず酷たらしう、一刀に手にかけたは、慈悲が反つて我が身の仇、親殺しと口の端に、かゝるこの身は厭はねど、理非も糾さず二人とも、斬つて捨てたは何事ぞや、赦して下され母者人、堪へてくれ女房」
と、空しき死骸に取付いて、悔み歎けば
銀八も
「ヲヽ道理ぢや／＼、道理／＼」
と諸共に、胸一杯に突つかくる、身も世もあられ雪氷、肝に貫く八郎兵衛が、涙の時雨古手屋の、昔も今も哀れなり
銀八はつと心つき
「訴人したれば捕へに来るは定のもの、こゝ構はずと主君の行方、せめて親子の亡骸に、未来の引導弥陀頼む、急いで用意」
と押入れの、襖明くれば仕込みの仏間、怪しやうちに骨桶の、二つありしも覚悟の用意、哀れいや増すばかりなり
銀八立寄り骨桶を、手に取上ればずつしりと、重いはいかにと蓋取れば、金子の包みにまたびつくり
「ヤ、これこそ弥兵衛が土産の敷金、チエヽこの金故に二人とも、惜しや命を果せしも、金が敵の憂き世の中、せめて主人のお役に」
と、包み解けるその中に
「ヤアこの一通は」
と開き見て
「ムコリヤコレ弥兵衛めがまさかの時、金取戻す巧みの一札、チエヽ思へば憎し」
と打眺め
「よく／＼見れば見知りあるこの一札」
と懐中より、取出す手帳に引合し
「コレ銀八、この帳面とこの一札、かう合して見るところ」
「ムヽ問ふまでもない、同筆／＼」
「チエヽ忝い、スリヤ香具屋の弥兵衛めは、当春屋敷へ失せたる盗賊、その時拾ひしこの手帳、不断放さぬ今この時、刀の詮議はアノ弥兵衡め、引捕へて詮議せば、親の敵も知れるは治定、それとも知らず女房が、金の無心に付込まれ、不義者となりし故、今の詮議に取付きしも、偏へに母人妻の蔭、ハ、ハ、ハ、ハアヽヽヽ有難し忝し」
と、勇立つたる
表の方、訴人によつて数多の人音
「まづ／＼こちへ」
と銀八も、隠るゝ間も
あらしこども
「人殺しの八郎兵衛、縛れ、括れ」
と声々に
「をらぬは必定、裏道へ」
滅多無性に飛んで行く
やり過して八郎兵衛
「銀八、頼む」
と出る門口
内と外とに隠れし組子
どつこいやらぬと取付くを
引きかづいて両人が、真逆様に井戸の中、心そぞろに鳴る鐘は
四ツ橋さして、遁れ行く